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キンドル小説などについて。メンタル経験あり。太宰治が好きです。タイトルは太宰が自分を曝け出して小説を書くことから。某マンガのぱくりじゃないですよ
ここにない小説は右のキンドル版リンク先にあります


 札幌に計、六年ほどいたのだが、もうとにかくカネがない。

 総収入10万から12万/月。家賃5万/月なのだ。

 いったいどうやって暮らしてたのか、というと、マヨネーズご飯と塩胡椒パスタである。

 卵とキャベツもあればとりあえずの栄養はとれる。

 今は貧乏ではないためかなり浪費しているという自覚はある。とはいえ、もういちどあの暮らしできるか、と言われればできないこともない。

 そのうちにカネは紙幣から数値だけのものになるのだろうが、さらに時間がたてばただの数値だということにみんなが気付いてしまうだろう。そうなったら資本主義はおしまいになるわけだ。

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 朝からニュースショウで司会者がエラそうにいうわけである。

 「地球温暖化のために、米国の行為は許せないわけです」とか「不都合な真実を読んだのか」とかね。

 両方とも二酸化炭素が増えると、地球が温暖化するという仮説に基づいている。しかし、仮説であるうえに数値を作為的に変えた温度上昇結果を「不都合な真実」では取り上げている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9F

https://www.skepticalscience.com/translation.php?a=74&l=11

 怪しい仮説である。なぜなら太陽は元々±10%程度の変光星(明るさが変化する)であるからだ。

 単に太陽活動が活発になっているせいかもしれないし、そのほかメタンなどのせいかもしれない。

 過去には非常に二酸化炭素濃度が高い時期もあったし、鎌倉時代はかなり温暖で徒然草にも、吉田兼好も縁側でそのまま寝てしまったと書かれている。また、江戸時代後期から明治、昭和初めは東京でも当たり前に降雪があった。

 不都合な真実に書かれた数値的な予測は、明らかな間違いをベースにしていることが分かっている。また、ツバル諸島が水没の危機にあるのは、近所で米国が基地を建設しているためである。ツバルもそうは言えないから、移住する、と言ってるわけだ。

 企業は”地球にやさしい”キャンペーンで、新たなカネを求め、次々に商売をしようとする。とくに欧州企業がかなりの煽りようで、だから米国はいやがっているのである。日本はというと、これまた欧州とは別な体制でカネ儲けを考えてるわけである。現にそういうビジネスの最先端に多くの研究費が割かれている。これは間違いのない事実である。お前はその片棒担いでるだろう、と言われれば、担いでるわけである、だから知っている。

 地球は確かに温暖化傾向にあるかもしれない。しかしそれが人間活動のせいかは未だもって分からないのである。

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 ひとも生きていると嫌なことは多く、そのことばかり想い出すクセがつきがちだ。

 ひとに親切にされたこと、ひとに優しくされたことを思い返してみよう。

 悪い人間は数多く、欲張りもおおい。

 インターネットが普及し、何を言っても匿名だと考えている愚か者もいる。

 傷つくし、そのことばかり悲観しがちである。

 寄りかかって、助けてくれたひともいるはずなのでそのことを思い返すことは楽になる道かと思う。

 あなたを傷つけた人は、もしかしたら痛烈な一撃を他人から受けているかもしれない、不幸な人間であるかもしれないのだ。

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 この本が著者亡き今、まだ高く評価されていることに驚きを覚えると共に、科学がいかに普通の人の常識になっていないかが分かる。

 ほぼ、この本で指摘された洗剤、DDT等の薬品について、その毒性については彼女が記するほどのものではない。

 たとえばだ、ゴキブリに洗剤をかけたら死んだ、というわけだ。しかもN=1の実験である。

 それは死ぬだろう。昆虫は気門という腹にある呼吸器官で酸素を取り入れている。洗剤はそこにしみこんで穴をふさいでしまうからだ。

 人だって鼻孔に洗剤つめこまれたら死ぬだろうに。

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 この世の中というか、最近なのであるが誰もがネットに簡単にアクセスできるようになった。

 40年前、わたくしが有線端末、モデムで通信していた頃とは、わけが違う。

 で、言いたい放題、人の悪口とか書く阿呆もいるわけである。それも一般の個人を対象にして。言論をなりわいにしている方に対しては、批判を承知で主張するのであろうから、それはまた別で議論なり批判なりすれば良いとは思うが。議論、批判と中傷とはベツモノである。

 すべての通信状態は、ほぼ監視されており、足跡も残るしアクセス解析すればどこの地域の人間が、どのようなコンピュータで、どのようなディスプレイとOS、コンピュータをつかってアクセスしたのかまで実は分かる。

 ネットは完全に匿名では無いのであるが、個人情報保護法があるから普通に使う分にはまあ匿名に近い形で投稿できるだけだ。

 一般個人に対して撮影した動画だのなんだの投稿して平気で、中傷する人の気が知れない。

 プライバシーを害された方は傷つくであろうが、そんなもの通報すれば一発であるし、そこまでしなくても、たかが気の小さい人の言っていることである。気の小さい人間の個人の偏見、客観でもなければたわごとにもならない。

 ブッダは言った。「その言葉はわたしはうけない」。害がおよぶのでもなければそれでいいと思う。

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神経を病む人の多くは、人の評判を気にし、他人の顔色をうかがって恐る恐る生きている。

私もそのような人間の一人であり、かつまた、人を惑わす言動をする人間でもある。

自分の思い込みや、人の評判は所詮、妄想である。

起きていること、自分の感じていることだけが真実である。

自信のなさ、それは誰もが持っているはずで自分ばかりではない。だから人の言動により、客観化しようとする。

客観、というものは実は存在しない。そのことをよく理解しないと楽には生きていけない。

しかし、妙な自信を持つ人もいるわけで、そのような人は自分の思い込みを客観である、と信じ込んでいる人である。はた迷惑この上ない存在である。

そのような方には近づかないほうがよいし、その手の方が話す言葉に耳を貸す必要はない。

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 生まれが茶処ゆえ、幼い時期からお茶ばかり飲んでいた。

 なので青年期には殆どカフェインが効かない状態であり、お茶を飲んでも眠くなることがあった。

 最近は非常にカフェインに敏感になっている。

 永いことお茶を飲まない生活をしているからかもしれない。

 とくに朝のコーヒーは効く。
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 大体だが、研究者とかいうものは「働き方改革」とかいいながら、そういうものとは無縁に生きている。

 悲しいさがと言えばそれまでで、時給単価は非常に安いと思う。

 家に帰って寝てまでかんがえてるわけで、枕元にノートとエンピツがおいてある。

 でもってだ、最近、思いついたアイデアがある。

 これはものにせねばならぬ、とわたくしは思っており、明日はちょっと格闘である。

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以下、小説風にしたほうが面白いかと思い書いた。

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『田舎者すぎてパパ活にひっかかってしまいました』

 わたくしは田舎者である。また、文章を書く前にいっておくが、若い女は苦手であり、どちらかというと分別ついたアラサー以降の女性のほうが好みである(んなこた言ったって仕方ないわけだが)。

 田舎者が東京に出ると言ったら上野である。いわゆるお上りさんである。

 しかしながら、わたくしはかつて国分寺にご厄介になっていたこともあり、上野経由であちこちに出張に行くわけで、自分にはお上りさんという意識は全くない。自覚症状なし、という状態は、病気にもよるが、例えばアルコール依存症なら致命的状況である。

そして、その日もわたくしは朝から東京に出張し、珍しく客先説明を首尾良く切り抜け、昼には上野を歩いてたわけだ。

 前から20くらいの女性が近づいてきて、ぷらぷらと歩くわたくしとすれ違いざまに言った。

「ごはん、一緒に行きませんか?」

 逆ナンであろうか。果たしてわたくしはモテるわけではない。誓って言うが「おっさん」であり、見てくれもよろしいほうではない。いぶかるのが通常の神経であろうし、いつもならそうしていたはずである。「はずである」、ここは強調せねばならぬ。わたくしは女性恐怖の気が少しあり、こういうのに慣れてないから危ないわけである。それを、まんまと昼飯を引き受けてしまった。

「ああ、いいけど」

「じゃあ、お小遣い」

 じゃあ、お小遣いってナンだそれは、と思うだろうに。わたくしだってそう思ったわけである。思ったところで承諾してしまった自分が情けない。昼飯代の釣りでもくれるのかと思って、わたくしは一万円札をわたした。煙草を切らしていてキオスクで調達したために小銭がなかったからだ。その女性は無言で万札をポケットにしまい込み、勝手に歩き出した。わたくしはのそのそと後をついていったわけである。この小文にて連発する言葉をまず吐く。情けない。

 勝手にその女がしゃべった。

「ご飯食べたら、上野でも歩こうよ」

「ああ、時間はあるからね」

 そのまま、妙にサラリーマンが通うような定食屋に連れて行かれた。何を頼むのか、と思って向かい席についたら、開口いちばん、

「とんかつ定食ね」

 と言うわけだ。それなりに行きつけらしい。

 それからである、無言で居るのも居心地が悪いから、多少は話をしたのであるが、彼女は上の空でメシをがっついてるわけである。妙に細い癖にずいぶん食うなとわたくしはおもった。

「おかわりね」

 なお、彼女はメシをお代わりしてるわけである。コイツはナンなんだろう。それについてった自分はさらにどうかしてるわけである。何か期待していたかと言えば、全くなかったと白状はできないが、どうにかしようなどとは思っていなかったのは事実である。

 ずいぶんと早食いでわたくしより、メシを早く食った彼女はスマホをいじくりまわしていた。まったく、目の前でスマホをいじくられるというのは気分が悪い。しかしながら、文句も言わずにメシを食っている自分がいるわけである。このありさま、まさに情けない。 

 ようやっとメシを食い終えたわたくしを見て彼女は言った。

「じゃあ、会計お願いね」

 なんだそりゃ。さっきの万札はどうなった。わたくしはもごもごと言ったが、周りの客の目もあるし、大体、若い女にカネを払わせるのもみっともない年である。

 会計が終わったわたくしを見て、彼女は一言いった。

「じゃ、またね、わたし忙しいから」

 あっ、と一言声が出そうになったが、彼女はメトロの階段を素早い動作で駆け下りていった。別に追う気にもならなかったが、はたとして思ったわけである。

 パパ活、そういえばどこかのウェブサイトで見たことがある。

 彼女は平日から働きもせず、おっさんがたにメシをおごらせて、そればかりか小遣いまで調達して生きているわけである。

 ストリート・チルドレン、という言葉はかなり昔にできた言葉であるが、逞しく生きるボンビーガールとでもいうのであろうか。その野生に、わたくしは男という生物の弱さを垣間見るのみである。

 言葉を失いつつも、わたくしは上野駅に向かった。

 帰宅してから、自宅でネットを調べているとそういう女性が都会には棲息するようである、というのは理解した。

 おまけに自ら引っかかる阿呆とか、ママ活とかいう言葉も飛び出してくる。

 そういう若い女性たちが、好き放題に書いているブログを見て、またそこにリンクされたSNSの内容を見たりしてまず呆れる。そして、相場は万札以上ということになってるらしく、出さないおっさんに対する嫌がらせ手法も書かれており、自分は幸運であったと思わざるを得ずも、しかしながら、自分にもこの世にも呆れかえるわけだ。

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初期の仏教がもっとも仏教らしい、もはや宗教と言うより哲学なのだが、次の一語に集約されると思っている。

「自分が今、ここで感じたことだけが現実である」

量子力学は物理であるが、「自分が見ているもの、感じているものだけが存在している」という解釈をする(コペンハーゲン解釈)。

良くにており、結局、人が真実として考えることなんて哲学であれ宗教であれ科学であれ変わらない。客観的に見る、ということは実は不可能なのだ。自分が感じたこと、見たことそれから直ちに結論できることだけが真実として認定される。

今、ここにいること、ここで感じることだけが事実であり、この先の心配事、他人がどう思っているか、世間がどうか、など、妄想にすぎない。

まあ、これをいきすぎて実行してしまうと、空気読めない人、ということになってしまうけど。

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