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キンドル小説などについて。メンタル経験あり。太宰治が好きです。タイトルは太宰が自分を曝け出して小説を書くことから。某マンガのぱくりじゃないですよ
ここにない小説は右のキンドル版リンク先にあります


 太宰治の如是我聞より引用(著者没後五十年経過により、著書は無料で公開されています)

「人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。」

不思議なことにわたくしは、この言葉に妙な優しさを感じるのである。

昨年、病気をしたときも何故か読んでいた。

つまり、「おいしいもの」、たのしいこと、うれしいことがたまにあるからこそ、生きてることに意味があるよ、という言葉のように思えるのである。

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ファブレス。聞き慣れないかも知れない。

もとは半導体からはじまった。全ての製造工場をアジアに委託し生産させ、自社は設計と販売しかしない。

先進国で工場を持つ、というのは利益を追求する資本主義社会では最大のリスクである。

人も雇い、銀行から借金をして巨大な工場を建てる、それには兆に及ぶカネがかかる。

人件費だって高い。その上に製造業では、よけいに人手がかかる。

だから、ファブレス化するのである。

本当にこわいのは知能を持たない人工知能なんかではない。AIに知能があると考えるのは大衆経済誌と馬鹿者だけである。

AIは人の仕事を奪うだろうが、AIはものを発想もしないし考えもしない。

AIや操作対象となる自動機械と製造設備(ただし国外)、新興国労働力があれば、日本の製造拠点は流出し、労働力を要らなくさせてしまう。

のこるのは、ごく一部の考えられる、設計できる、発想ができる人たちであり、ますます格差は広がる。

そのような人たちは残念だが、いつまでたってもごく一部でありつづけ、残りの人たちは消費するだけの人だからである。

だから、わたくしたちはいつまでも個人個人が独創的であらねばならないのである。

世界に一つの花であるのなら、花を咲かせなければならない。そうしないと食えないのである。



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 あれからだが、MSから次々にFall updte向けの更新ソフトが来るわけだが、何一つまともになりはしない。

 たのむから、ヘンなプレビュー版だして人のパソコンぶちこわすの、辞めてくれないかな。

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 例のPCは、OSがぶち壊れてる上、落雷で停電、お手上げかと思ったがアプリ以外は動作してる。

 windows10ではアプリと呼ばれるアンドロイドみたいな機能があるがそのソフトだけだめ。

 どうせ使わないしね、とか思いつつ復帰をこころみている。

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 日本は累進課税方式であるため、たとえ勤務医で年収1200万であったとしても年収900万のサラリーマンと殆ど手取りはかわらない。

 およそ400万ほどにおよぶ課税と社会保障費を取られるため。

 サラリーマンの高プロ対象外となる年収900万台と実年収で約100万ちょっとの差しかないし、付き合いの多さや買う専門書、学会参加費など考えると可処分所得で言えばほぼ同じ。

 開業医で年収2000万とかなら話はべつでそれなりの可処分所得がある。

 これで、1075万以上は残業無制限です、とか、過重労働させられたらたまらないだろうに、と思うのである。

 この収入にわざわざ設定した、ということは今後の上限収入を下げることをみこんでのことであろう。

 だから、こわいわけだ。

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 人は見かけによらない、とは言うが、三十も超え四十にもなると見かけによるようだ。

 若い人については意外に思う行動と身なりの違いがあるものだが、段々と行動を繰り返しているうちにその容貌に気質があらわれるようである。

 阿呆ならそれなりの、見かけ倒しの人物であるならそれなりの容貌に変化していくように思える。

 女性の方がより大きくその差が現われるようにも思えるが、その人の社会進出の度合いにもよるのかもしれない。

 男性では社会的立場などがあるので、繕ってはいるが、ま、見ればわかる。

 なんでだろ。

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 むかし、アスキーという雑誌に女子大生のエッセイが書かれていた。

 「yoのけそうぶみ」というタイトルで、今から考えれば自意識過剰気味の理系女性の日記みたいな物で、いわばブログ的なものである。

 あの頃は、理系女性というのは非常に少なかったので、雑誌でも取り上げられていたが今見ると、大したことはない文章ではあった。しかしながら、当時のコンピュータとそれを扱う人々のマイナーさを思い起こさせるものであり、感慨はある。

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 いつもブログや書き物、しらべものに使っているpcが半死に。

 きっかけはアップデートであった。深夜にアップデートされたようである(要するにずーっとONのまま)。

 わたくしはテスト版の先行アップデートを受けているのだが、なぜかアプリが通信不可能に。

 やっとこさ、ここまで治ってはきたが御機嫌を伺いながら、不安定なPCをつかっている。

 小説を書いていても再起動したり、まあ、それは先行アップデートであるから、不安定はしかたないのだが。

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第4話

 まだ、ある。

 例えばだ、高大一貫の理系学校があったりするわけだ。そこに入学したはいいが、次第に肉食化し、そろそろ二年、三年経つうちに男子学生を食ってしまう。同じ学校の男子を食ってるならまだよい。

 あろうことか、その手の映像作品に出てしまったりするのもいるわけだ。わたくしたちが彼女らの欲望の増幅装置として働いているかと思うと、若干悪い気もするが、どうやら当人はそう悪い気分でもないらしい。まあ、その手はそれでよい。

 で、真逆なのもいるのである。真逆というのをこれから説明するが、少々やっかいな説明になる。要するに、男子とばかり勉強したり遊んだりしてるうちに、男性化してしまうのがいるのである。そういう女子は、つるんでる女を見て「気色悪い」と思うようであり、とはいえ当人をはたから見て気色良いか、といわれるとそうでもない。

 まず、朝、長靴を履いて学校に来る。ジーパンはいて頭はボサボサのショートである。やおら、実験室の水道でじゃぶじゃぶと石けんで頭を洗い始め、「ぷはー、気持ちええー」などと言っており、片足を膝の上にのっけて椅子にのけぞってるわけだ。しばらくすると、コンビニで買った握り飯なぞ食い始め、ことのほかやる気なさそうに牛乳で流し込む。

 周囲の男子も彼女も単なる仲間だと双方思っているので、気にもしない。すると、その女子は夏というもあるのか、あー暑い、などと一言いって、Tシャツ一枚になったりする。その部分にプロテクターはつけていないため、すけすけであるが、周囲も動揺しないし、自分も気にしない。

 そんなことをしてるうちに、卒業の時期を迎え、企業に就職したりするわけだ。さすがにまずい、と感じるのか、容姿を整えたりし始めるがもはや遅い。考え方が完全に男化しており、意識改革からはじめなければならない。

 しかしながら、そろそろ三十過ぎになるとどうでも良くなるのか、再び元の状態に戻るわけだ。わたくしはそういう女子を部下にもったことがあるが、まあ気は楽であるが、ちょっとはどうにかせよ、と、言いたい言葉を我慢して、能力だけは優秀であるから持ち上げるわけである。で、いずれかは組織替えなどで、わたくしのもとからは去って行く。

 そうして、しばらくすると、結婚式の案内状が来たりするわけで、仰天するのである。まあ、そういうのが趣味の男性もいるわけで、仲睦まじいのであるから、どうこう言う問題ではないが。

 しかしだ、果たしてこれでよいのか、という疑問をわたくしは持ったりもするのである。
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第3話

 化学の学生実験ではペアで実験することが多い。つまり、女子と男子のペアが発生することがある。

 これは彼女らにとって恰好の草刈場である。なぜならば、化学の実験ではピペットなるものがあり、薬品を口で吸い込むガラス管があったりし、いちいち拭いてから自分が使うのも相手に失礼なので、そういった触れあいが増えるからである。

 わたくしは器用であったゆえ、極めて短時間で実験を終え、自宅に戻って昼寝などしてるわけだが、中にはとてつもない不器用者がおり、これがまた男女ペアだったりするわけだ。実験が終わるまで帰してはくれないから、阿呆なことに深夜までやっていたりする。わたくしの学校は北の方にあり、冬の深夜は寒いし雪が数十センチも積もっている。なおかつ学内は林や原っぱであったりするので、帰宅に難渋するのである。

 彼、彼女は実験が終わると、大層苦労して原野を抜け、学外の街の中に出る。吹雪の日なんか、そこでもう歩きたくなくなるわけであるが、地べたに寝たら凍死してしまうのでとりあえず近い方の家に避難するわけだ。

 北国の家は強力なストーブとコタツのおかげで快適である。そこで、鍋などはじめようと女子が言ったりするわけだ。これはもう一種の罠であり、言われるがまま鍋なぞ一緒につついてそのまま泊まるわけだ。ここで、何が行われるか、わたくしには詳細に書けないわけであるが、簡単に言えば手込めにされ、丸め込まれてるわけであり、ようするに「そういうこと」である。

 その夜の感想について、当該女子からの報告により、学科どころか学部中の女子に翌日昼前までには伝わっており、みんなの知るところとなる。男子学生はかくして彼女の奴隷と化するわけであるが、それでやめておけばいいのにそうではない。

 実験ペア変えは、成績評価の上で不公平をなくすため、半期に一度実施される。そうしてまた新たなターゲットが犠牲者となるわけであり、報告の標的とされるわけだ。企業の四半期業績報告じゃあるまいに、定期的に成績を争ってるかのようであり、実に恐ろしいわけである。
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