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闘病日記

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 ひとも生きていると嫌なことは多く、そのことばかり想い出すクセがつきがちだ。

 ひとに親切にされたこと、ひとに優しくされたことを思い返してみよう。

 悪い人間は数多く、欲張りもおおい。

 インターネットが普及し、何を言っても匿名だと考えている愚か者もいる。

 傷つくし、そのことばかり悲観しがちである。

 寄りかかって、助けてくれたひともいるはずなのでそのことを思い返すことは楽になる道かと思う。

 あなたを傷つけた人は、もしかしたら痛烈な一撃を他人から受けているかもしれない、不幸な人間であるかもしれないのだ。

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 この世の中というか、最近なのであるが誰もがネットに簡単にアクセスできるようになった。

 40年前、わたくしが有線端末、モデムで通信していた頃とは、わけが違う。

 で、言いたい放題、人の悪口とか書く阿呆もいるわけである。それも一般の個人を対象にして。言論をなりわいにしている方に対しては、批判を承知で主張するのであろうから、それはまた別で議論なり批判なりすれば良いとは思うが。議論、批判と中傷とはベツモノである。

 すべての通信状態は、ほぼ監視されており、足跡も残るしアクセス解析すればどこの地域の人間が、どのようなコンピュータで、どのようなディスプレイとOS、コンピュータをつかってアクセスしたのかまで実は分かる。

 ネットは完全に匿名では無いのであるが、個人情報保護法があるから普通に使う分にはまあ匿名に近い形で投稿できるだけだ。

 一般個人に対して撮影した動画だのなんだの投稿して平気で、中傷する人の気が知れない。

 プライバシーを害された方は傷つくであろうが、そんなもの通報すれば一発であるし、そこまでしなくても、たかが気の小さい人の言っていることである。気の小さい人間の個人の偏見、客観でもなければたわごとにもならない。

 ブッダは言った。「その言葉はわたしはうけない」。害がおよぶのでもなければそれでいいと思う。


神経を病む人の多くは、人の評判を気にし、他人の顔色をうかがって恐る恐る生きている。

私もそのような人間の一人であり、かつまた、人を惑わす言動をする人間でもある。

自分の思い込みや、人の評判は所詮、妄想である。

起きていること、自分の感じていることだけが真実である。

自信のなさ、それは誰もが持っているはずで自分ばかりではない。だから人の言動により、客観化しようとする。

客観、というものは実は存在しない。そのことをよく理解しないと楽には生きていけない。

しかし、妙な自信を持つ人もいるわけで、そのような人は自分の思い込みを客観である、と信じ込んでいる人である。はた迷惑この上ない存在である。

そのような方には近づかないほうがよいし、その手の方が話す言葉に耳を貸す必要はない。


 生まれが茶処ゆえ、幼い時期からお茶ばかり飲んでいた。

 なので青年期には殆どカフェインが効かない状態であり、お茶を飲んでも眠くなることがあった。

 最近は非常にカフェインに敏感になっている。

 永いことお茶を飲まない生活をしているからかもしれない。

 とくに朝のコーヒーは効く。
医師に処方してもらっている便秘薬が酸化マグネシウム。

一般に売られているものの多くが、センナなどを使った刺激性の便秘薬で、習慣的に使うと効かなくなる。

にもかかわらず、即効性があるので、売られている。

数回以上にわたり、連続して使うとよろしくはない。

ごくわずかだが、酸化マグネシウム系も市販されているのでそちらのほうがよい。

腎臓疾患がある方は、マグネシウム血症になる可能性があるので医師に処方してもらったほうがよい。

まだ完全に治ってはいないのか、週末になると一日寝てしまう日がある。

今日がそのようで、たまにブログをのぞいたりはしても気が散って短文ひとつ書くのにも骨がおれる。

そしてまた寝る。


 太宰治の如是我聞より引用(著者没後五十年経過により、著書は無料で公開されています)

「人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。」

不思議なことにわたくしは、この言葉に妙な優しさを感じるのである。

昨年、病気をしたときも何故か読んでいた。

つまり、「おいしいもの」、たのしいこと、うれしいことがたまにあるからこそ、生きてることに意味があるよ、という言葉のように思えるのである。

 人がどう思うか、より、自分がどう感じるかのほうが大事だ。

 世間というものは存在しない。

 そこにあるのは個人の集団だけなのだ。

いまテレビをつけたら池上某の番組にて、放送していた。

池上某はすきではないが、リコード法は今、げんにやっている低炭水化物食事療法であるゆえ見た。

なんか、この人の説明、ひとを馬鹿にしてやしないかと思いつつも。
考えることがたくさんあると、気はまぎれるというものです。

かんがえすぎてもつかれるけれど。

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