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そのほか

ここでは、「そのほか」 に関する記事を紹介しています。
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まったく、おまえたちといったらなってないわけである。

勉強が嫌いなくせに、人に難癖をつけたり、偉ぶったりすることは超一流である。

AIを理解してるかと思えば、したないのだ。

AI、というのは言い方を変えたデータベースのことなのである。

だから、初めて出会った状況には対応できない。さんざん、各社のAIスピーカーにだまされてきたろうに。

AIは知能ではない。知識の集積を分類しただけのものだ。

阿呆もいいかげんにせよ。

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日本は昔から変わった国で、神道からして本来「みんな仲良く平和に暮らしましょ」と言ってるわけである。

おまけに男女関係もおおらかで、平安時代までは通い婚だの夜這いだのやってるわけで至って相手を信用するお国柄である。

しかし、大陸ではそうではなく、争いが絶えず、図々しい民族が生き残るといった具合である。

お隣の国が近頃、至って不埒なのであるが、適度に相手にしておくという本来の姿勢でよいのではないかと思う。

グローバリゼーションとかいったって、所詮、大陸の国のわがままであり、付き合ってるふりだけすればよいし、カネがかかわるなら、カネだけで限定して付き合った方がまだましだ。


 40年前くらいからメールシステムがコンピュータに搭載され、当時は最先端の学校だったので使う人もいた。

 だが、毎日、顔を合わせるのにメールなんて不便なものつかわないよね、というのが常識であった。

 ところがである。1990年代終わりにはメールが当たり前になってきて、今では電話すると怒りだす人がいるわけである。

 何考えてんだ、とそういいたい。

 メールでは伝わらないし一方通行だろうに。だから、ラインのようなチャットが流行るわけである。

 チャットはメールとほぼ同時期に開発されていて、こちらもたまには使った。面倒ではある。


 以前に書いたが私の母は、典型的な毒母である。

 この休みは長いこと実家にいた。長くいるものではない。

 人が疲れをいやそうとして寝てる頭にけり二発である。相変わらずの暴力沙汰に参る。

 私を憎しみの対象にして生きてきたようなところがあり、なおかつ、私は勉強はできるほうであったのでそれを外面の良さに利用した。

 書いていていやになるのでやめる。


わたくしの親は七十半ばである。

とくに母は始末に負えないわけだ。

何が始末に負えないか、というと、戦後の高度成長期を謳歌し、常識とやらを20年の内にどかんと作り、それを守れと自ら言うわけである。

「世間の常識とは、あなたの常識でしょう?」、と太宰メソッドで反撃もしたくもなるが耐えた。

苦痛でしかない。


 札幌に計、六年ほどいたのだが、もうとにかくカネがない。

 総収入10万から12万/月。家賃5万/月なのだ。

 いったいどうやって暮らしてたのか、というと、マヨネーズご飯と塩胡椒パスタである。

 卵とキャベツもあればとりあえずの栄養はとれる。

 今は貧乏ではないためかなり浪費しているという自覚はある。とはいえ、もういちどあの暮らしできるか、と言われればできないこともない。

 そのうちにカネは紙幣から数値だけのものになるのだろうが、さらに時間がたてばただの数値だということにみんなが気付いてしまうだろう。そうなったら資本主義はおしまいになるわけだ。


 朝からニュースショウで司会者がエラそうにいうわけである。

 「地球温暖化のために、米国の行為は許せないわけです」とか「不都合な真実を読んだのか」とかね。

 両方とも二酸化炭素が増えると、地球が温暖化するという仮説に基づいている。しかし、仮説であるうえに数値を作為的に変えた温度上昇結果を「不都合な真実」では取り上げている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9F

https://www.skepticalscience.com/translation.php?a=74&l=11

 怪しい仮説である。なぜなら太陽は元々±10%程度の変光星(明るさが変化する)であるからだ。

 単に太陽活動が活発になっているせいかもしれないし、そのほかメタンなどのせいかもしれない。

 過去には非常に二酸化炭素濃度が高い時期もあったし、鎌倉時代はかなり温暖で徒然草にも、吉田兼好も縁側でそのまま寝てしまったと書かれている。また、江戸時代後期から明治、昭和初めは東京でも当たり前に降雪があった。

 不都合な真実に書かれた数値的な予測は、明らかな間違いをベースにしていることが分かっている。また、ツバル諸島が水没の危機にあるのは、近所で米国が基地を建設しているためである。ツバルもそうは言えないから、移住する、と言ってるわけだ。

 企業は”地球にやさしい”キャンペーンで、新たなカネを求め、次々に商売をしようとする。とくに欧州企業がかなりの煽りようで、だから米国はいやがっているのである。日本はというと、これまた欧州とは別な体制でカネ儲けを考えてるわけである。現にそういうビジネスの最先端に多くの研究費が割かれている。これは間違いのない事実である。お前はその片棒担いでるだろう、と言われれば、担いでるわけである、だから知っている。

 地球は確かに温暖化傾向にあるかもしれない。しかしそれが人間活動のせいかは未だもって分からないのである。


 この本が著者亡き今、まだ高く評価されていることに驚きを覚えると共に、科学がいかに普通の人の常識になっていないかが分かる。

 ほぼ、この本で指摘された洗剤、DDT等の薬品について、その毒性については彼女が記するほどのものではない。

 たとえばだ、ゴキブリに洗剤をかけたら死んだ、というわけだ。しかもN=1の実験である。

 それは死ぬだろう。昆虫は気門という腹にある呼吸器官で酸素を取り入れている。洗剤はそこにしみこんで穴をふさいでしまうからだ。

 人だって鼻孔に洗剤つめこまれたら死ぬだろうに。


 大体だが、研究者とかいうものは「働き方改革」とかいいながら、そういうものとは無縁に生きている。

 悲しいさがと言えばそれまでで、時給単価は非常に安いと思う。

 家に帰って寝てまでかんがえてるわけで、枕元にノートとエンピツがおいてある。

 でもってだ、最近、思いついたアイデアがある。

 これはものにせねばならぬ、とわたくしは思っており、明日はちょっと格闘である。


初期の仏教がもっとも仏教らしい、もはや宗教と言うより哲学なのだが、次の一語に集約されると思っている。

「自分が今、ここで感じたことだけが現実である」

量子力学は物理であるが、「自分が見ているもの、感じているものだけが存在している」という解釈をする(コペンハーゲン解釈)。

良くにており、結局、人が真実として考えることなんて哲学であれ宗教であれ科学であれ変わらない。客観的に見る、ということは実は不可能なのだ。自分が感じたこと、見たことそれから直ちに結論できることだけが真実として認定される。

今、ここにいること、ここで感じることだけが事実であり、この先の心配事、他人がどう思っているか、世間がどうか、など、妄想にすぎない。

まあ、これをいきすぎて実行してしまうと、空気読めない人、ということになってしまうけど。

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