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小説 君の見える坂道

ここでは、「小説 君の見える坂道」 に関する記事を紹介しています。
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 すでに発表しておりますが、初期のものであり、稚拙な恋をえがいたものですので出版権はわたくしが保持している小説です。

 最初に書いたもので洗練はされていませんが、公開しないのももったいないので、公開します。

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第1話

「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき

 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり

 やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは

 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり」 島崎藤村「初恋」より

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 昇は少し恥ずかしくなった。

 中学二年、図工の時間であった。


 彼は粘土細工をひたすら作り、それを少しでも見栄えよくするため、格闘中であった。三人ずつの作業台の前に座り一生懸命、造形の調整を企図し、粘土を削ったり足したりを繰り返した。


 あまりに作業に夢中になり、二組の男女が昇の背後で話しを始めたのさえ気づかなかった。


「知子さあ、昇のこと好きなんだって」


「へえ、意外だね。知子ちゃんておとなしいから、そういうこと言わない子かと思ってた」


「女の子の前ではおどけたり、ふざけたりしてるよ。話し出したらおとなしくはないよ。でも、すごく恥ずかしがり屋だから」


 男女のうち、一組が言った。もう一組の男女と一緒に談笑している。目の前で昇と知子が作業しているのも知らずに。手を止めたときに昇はそれを聞いてしまった。途端に顔が真っ赤になって、手元が動かなくなった。「今日は駄目だ」昇の手が動いてくれない。体も固まってしまった。


 昇は数分そうしていたが、ずいぶんと長い時間のように思えた。少しだけ体が動くようになってきた。でも顔は真っ赤で、どうしても元のように白くなってくれない。困った、と昇は思った。ほんの少しだけ知子を見た。知子も顔を真っ赤にして、だが手はよく動き造形物に打ち込んでなんとかこの場をしのごうとしている。


 後ろで話していた男女たちは、いつの間にか自席に戻っていた。わざとやったのじゃないか、昇は少しうたがったが、そんなことするような連中ではない。いつも真面目な生徒たちだ。


 人をからかって罠にかけるような、そのような悪知恵の働く子たちではない。だから、どうというのだ、自分はこの時間内に造形物を完成させなければならない。今日中に素焼きがまにいれ、次回は色塗りをしなければならない。


 速くしないと。でも手が少ししか動いてくれない。この顔色をだれかに見られたらどうしよう、そんな思いがますます昇の顔色を変えた。また手が止まった。
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第2話

 そんなことを繰り返して時間が過ぎていく。知子はもう元の通り、見た目は平常に作業を続けている。ああ、やっぱり、と昇は少し残念に思い、またそれを恥じた。また顔色が赤くなってきた。完成させないと、と昇は焦った。意識して手を動かした。なんとかなりそうだ。あと五分、先生は作業中止と言うまであと五分だろう、後片付けもあるのだし。ふと、知子を見た。


 知子と目が合った。知子は笑みをほんの少しだけ浮かべている。


「昇君、できちゃったよ。昇君まだでしょう」


 友子は丸顔で、笑うと目が線になる。今、友子の目は線になりかけている。昇はまた顔が真っ赤になってきて目をそらして作業をした、というよりするふりをした。もう、完成といってもいいのだ。どこかの陶芸家ではあるまいに、何をもって完成とするかなど自分がすべき判断だ。


 知子は黙っている。でも時々観察されているように感じもした。気のせいだ、と昇は思い最後の粘土をひと欠きして完成とすることにした。できるだけ知子の方を見ないようにした。


「作業止め」


 と、女性教師は無気力に言った。


「片付けの時間です。皆さんの作品は、前の台に順番に載せていって」


 片付けして、この不器用な作品を提出しなきゃ、と昇は思った。昇が立ち上がったのと同時に知子も立ち上がった。不意の出来事で、腕が触れあった。また昇は動けなくなった。


 知子は静かに、しかし少し笑顔のまま、


「前の台に持って行ってあげるから、貸して」


 と言った。おずおずと昇は作品を載せた板を知子に渡した。もうずいぶんと長い間、顔が赤くなったままでどうしたらいいのか分からなかった。昇は自分たちの作業台を雑巾で拭き始めた。各自の粘土くずがずいぶんと雑巾に吸着された。知子はどう考えても不器用で、作業台の知子のスペースには荒い粘土のかけらが散乱していた。一つ一つ拾い集めて、袋にまとめた。知子が帰ってきた。


「ありがとう。掃除してくれたんだ」


「あ、ああ」


「顔赤いよ。熱ないかしら」


 知子はいきなり昇の額を触った。昇はその手を払いのけるほどの力が出なかったし、払いのける理由も思いつかなかった。知子はそれに気づかないかのように随分と長いこと額に手を触れていた


「熱はないみたい。大丈夫かな」


 相変わらず昇は硬直してごみ袋を持ったままだった。知子が勝手にごみ袋を手からとり、捨てに行った。普段から親切な子だ。だが、一方で助かった、と昇は思った。今日はこれが最終枠の授業、帰宅できる。知子が帰ってくる前に帰宅してしまおう。それは狡い考えだ、とも思ったが、そうするしかないように思えた。
第3話

 慌てて荷物をまとめて帰宅の準備を始めた。だが、知子はすぐに戻ってきた。


「帰っちゃうの?」


「うん、だってもう今日はおしまいでしょ」


「少し待ってよ」


「でも、支度してしまったし」


「ロッカーにまだ荷物あるでしょ」


「帰り際にロッカーによるよ」


 少しだけ時間が経過した。知子は手早く片付けをして言った。


「ロッカーまで一緒に行こうか」


「べつに」


「べつに、ね。じゃあいいんだね。さ、行こ」


 二人してロッカーまで歩いた。足が自動的に前後に動かない、と昇は感じた。右、左、と信号を自分で送らねばならない。知子の後ろからぎこちなく歩いた。知子は先にロッカーから荷物を出して帰宅用の靴を取り出した。ふたつほど離れたところにある昇のロッカーも勝手に開けて靴と荷物を取り出していた


「遅いわねえ。はい、靴」


 知子から受け取って、初めて知子の顔を見た。

 知子は急に言った。


「あの子たちの言ってたこと、聞いた?」


「なんのことかな」


「分かってるって顔に書いてある」


 知子は言った。


「ほんとだと思う?」


 昇はまた顔が赤くなり始めた。かまわずに知子は帰宅玄関まで歩いていった。


「昇君、遅い」


「あ、分かった」


 我に返って靴を履いて帰宅玄関まで歩いた。


「近所なんだから一緒に帰ろ」


「いいけど、なんでまた」


「いいじゃない、いつも登校の時、私より速く歩くから、追いつけないの」


「なんだ、見てたのか」


「そうよ」


 まったく、女という生物は何か違う物を持っている、と昇は思った。ほんの二、三年前は野外で一緒に遊んでいたのに、急に変化し始める、そう思った。もしかしたら自分も変わっていったのかも、と思い、カフカの変身を思い出す。


「昇君、帰ろうよ」


「あ、そうだね」


 昇はのろのろと動き始めた。すでに生徒の多くが門から出ていた。昇は知子と隣あって門から出るのがためらわれた。


「いつもみたいに速くあるけないのかしら」


 知子は独り言のように言った。漸く、昇は動き始め門を二人して出た。知子はおとなしい子だと思っていたのに、随分と友達がいるようだ。帰り際、知子の友人たちは口々にじゃあね、等とあいさつをしていく。知子は笑顔で、じゃあね、と答える。知子は同性の友達が多いみたいだ。


 それに比べて自分は、と昇は思った。毎日、帰宅しては中学生には似つかわしくない科学の本を読んでいた。先端物理を好んで読み、数式も分からないのにその哲学に没頭していた。


 友達もそれほど多くはいない。親友はいるが、今日は風邪で休みだ。外向的な彼がなぜ内向的な自分と気が合うのかよく理解できなかった。それと同じように、普段おとなしい知子に多くの友人がいるのも随分と意外なことのように思えた。


「ねえ、早くかえろうよ」


 と知子が言った。昇は我にかえった。


「さっきの話、聞いてたよね。でしょ」


 知子は昇をからかうように見つめ、随分と責めるような調子で昇に話しかけた。わからないよ、この子も変身を遂げている。もう自分には分からない生物になっているのかもしれない、昇はそう思った。


「早く帰らないと、見たい本が売り切れちゃう」


 そのことについても知子は、なにそれだの、誰が著者かなど、随分と詮索する。仕舞いにはまた言い出した。


「私は、あの子たちに言っちゃったんだ。何のことかは分かるでしょ。だから、昇君をからかいに来たんだよ」


 知子は少しだけ言い訳がましく説明した。少し困ったような表情をしている。だが、続けて言った。


「でも、良かった」


 知子は昇の了承も得ずに勝手に手を握った。そうして、どうやら昇の様子を伺っている。昇は知子にされるがまま、手を握った。そうだ、拒否する理由なんてないのだから、そう昇は思った。


 やっぱり、変わったんだ、みんなと同じように知子も、と昇は思った。自分に起きている変化を無視するのに、ここしばらく躍起になっていた。人の変化は気づいても、自分の変化は認めたくはなかった。知子は言った。


「私は昇君が好きなんだ。分かってくれてるかと思ったのに」


 昇は知子の強引さと、妙な告白に半ば驚きながらも、自分が知子のことを気にしていた事実を認めざるを得なかった。物理学の本には解明されていない事案として、まだ生命というものがある、と昇は改めて思った。神経細胞のいかなる発火の連鎖がこのような感情を引き起こすかについて、生物学も物理学も無力であった。
第4話

 昇の、のろのろとした動きに知子は合わせて歩く。友子は手を強くにぎったり弱めてみたりした。友子はそうして昇の反応を見ている。昇は知子に強く手を握られて、見られるたびに恥ずかしく感じた。知子は首をかしげるようして昇の方を見ている。看護師のようだ、とさえ思った。


「そりゃ、知子さんのことはさぁ」


「好きなんだね、いいんだよ、素直に言えば。そうすると楽になれるよ」


 友子の言葉には少し挑発の気配があったが、昇には理解できていない。楽になれる、ってどういうことだろう、と。


「そんなぁ、ちょっと待ってよ」


「待ちたくないもん、じゃあ口に出して付き合いたくない、って言えば」


 友子はにやにやとしている。知子の強引さに改めて驚いた。困った。しかし、もう困っていてはいけないのかもしれない。そして、その、わずかな隙に、昇の疑問がなぜか解けた気がした。微分方程式でも不等式でもブール代数でもない何ものかの理屈と、説明できない何かの力がそれを自動的かつ、非常に速く問題を解いた。


 難問に思えたその理屈は、朝永振一郎博士の「繰り込み理論」のように、手に負えないかのように見えた全ての無限大を消し去り、一対の単純な解を生成した。ほんの一瞬の間に明確にされたその解は、複雑なように見えたが、すぐに非常に分かりやすい形式に変化した。解けた。それが昇の緊張を解いた。


「知子ちゃんのことは好きだ」


「そうだと思ってた、だって私もそうなんだもん。もっと自分に素直になったら」


 昇の歩みはいつしか自然なものになり、帰宅するまでのほんの三十分のうちに随分と話しをした。


「私は晩生だし、昇君はもうさっぱりのものすごい晩生なんだもの、いいじゃない、これ、人間として当たり前だよ」


「そうかな、さっきまではそうは思えなかった。そんな大それたこと」


「そんなものよ。私、ホントのこと言うと、あの子たちにからかわれて、それで開き直っちゃってさ、でもよかった」


 知子はぶっちゃけだした。


 小学生の頃、遊び回っていた頃を少し思い出した。缶蹴りで、走り回る友子に追いつこうとしている自分がそこにあった。友子が思いきり缶を蹴飛ばすところも想い出した。あのころから、ちょっとした魅力を感じていたのかも知れない、そう思った。


「ああ、いいんじゃないかな。今なんか少し変な気分だけど、悪い気はしない」


「悪い気はしない、ってあんまりかな。でも昇君だから仕方ないわね。他の子に言ったら殴られるからね」


 と知子は微笑して言った。なんで殴られなければいけないのだろうか、と昇は考えた。理解不能だ。


 知子の家と昇の家は近所だ。いつも坂道をすたすたと昇は考え事をしながら歩く。行きは登りなので、知子の足では追いつけないのだという。


「そうだったんだ、気づかなかった」


「そうだと思った」


 知子は笑顔で言った。夕暮れが迫り、西向きの坂道には太陽が最後の陽光を知子と昇に当て続けた。


「これからも一緒に登下校しようね、昇君」


「行きはだめだよ、考え事したいもの」


「考え事したっていいよ、別に一緒なら。私、明日から早起きして、いつも昇君の出る時間に間に会わせていくもの」


「そう」


 一言だけ昇は言った。


「ふふ」


 と友子は笑った。


「そう、だけね。相変わらずなんだね。きちんと、言わないといけないのよ、本当は。昇君だから許してあげるけど」


「本当はって、なにが」


「だから、もういいから。昇君なんだから、それで十分なの」


 友子の目はまた線になっていた。
第5話

 国語の時間に島崎藤村の「初恋」を習っていた。教師はこれが理解できないものはいるか、と言った。昇はおずおずと手を上げた。恥ずかしそうに手をあげたのは男子のみ数人であった。教師は微妙な笑顔をうかべ、「ほぅ」と言った。


 あのとき、知子は手を上げてはいなかった。先ほど思いついた難解に見えた方程式の解を思い出した。そうだったのか、と昇は思った。数式が難解ではなくて、こころの問題だった。物理学者は数式に思想を込める。「この現象はこうあるべきだ」と。それと同じ理屈だ。初恋、この現象は「こうあるべき」という理屈を説明するように思えた。納得がいったわけではないが、理屈に隙がないように昇には思えた。


「知子ちゃん、いいよ、明日はうちの前で待ってる」


「ほんと、いや、照れるなあ」


 知子は妙になれなれしく言った。知子にしても精一杯の演出だったのかもしれない。すこしだけ、愛おしさという感情らしきものがよぎった。なぜか、知子の目を見た。何のかげりもない。この夕ぐれでひとみが輝いている。これが解だ、そう昇は思った。


「まだあげぞめし、まえがみの......」


 と昇は一人つぶやいた。しばらく知子は黙っていた。そして、知子が昇を見つめながら続きをつぶやいた。


「ひとこいそめしはじめなり......」


 完

 2017.9.17初稿

 2017.9.19改訂

 2017.12.2改訂2
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