FC2ブログ

創作小説 (丹沢山塊放浪記)

ここでは、「創作小説 (丹沢山塊放浪記)」 に関する記事を紹介しています。
ここにない小説は右のキンドル版リンク先にあります

1980年代。登山がダサくて、バイクでぶっ飛ばすか、街で踊るのが良しとされた時代である。若者は山なんかには行かないものであった。この学校のどうしようもない山岳部も例によって堕落していて、ハードなトレーニングなぞ一切やらず、毎日ランニング8キロをやるのが習慣であった。

ただ、ランニングとは言っても田舎の学校のこと、周囲は里山。自然と山道を駆け上ることで足腰は鍛えられていた。毎日、集合する時間も適当、集まったら山道を走り出す。だいたい、行ったこともない道で、キジだのイノシシだのが歩いてたりする。イノシシににらまれると怖い。もしかしたら、死を意味するかもしれない、と部員たちは考えていた。それで、坂道をダッシュしたりするわけだ。まあ、割と自然に鍛えられた、と言っていい。

その年のゴールデンウィーク前日に部長、石田が丹沢に行くと言い出した。みんな、嫌な顔をした。ああ、またあのバカ尾根か、900メートルの標高差がある大倉尾根を、塔ノ岳まで上るのだが、果たして富士山を登るより辛いのではあるまいか。富士山は通常、新五合目2500メートルからジグザグにただ登るだけ、老人であっても登山可能だ。だが、丹沢は深くて暑い樹林帯の中を上下しながら塔ノ岳まで歩いていかねばならぬ。ああ、いやだ。

石田は言い出した。「今回の連休は長いから、五日くらいみて、山中湖まで行こう。幸い、東海自然歩道とやらもあるようだし」。みんな嫌そうにしている。石田の言うことを聞きそうなのは四人だけ、だから隊は五人だ。なんだ、泊まりかよ、ザックが重くなるじゃねえか、とそんな思いを抱いているわけだ。この山岳部はヤワなので、12キロ以上の荷物を担いだことなどない。しかし、今回の日程の長さから言って、それ以上になりそうだ。

それに何でまた、秦野まで行ってまた富士五湖に行かなくちゃいけないのか、まるで意味が分からない。それに、と中島は思った。たしか東海自然歩道、今は廃道に近い状態じゃなかったんだっけ、と。こいつはまずい、なんとか石田を止めねば。「石田さん、もっといいところに行きましょうよ、ほかにも南アルプスの北岳とか」「北岳ーーー。つまんねえこと言うなよ、何回行ったんだよ。観光客だらけで、ただ登ってて降りてくるだけだろうが」「いや、そうはいっても。。。」。東海自然歩道が、現に今時点、地図には書いてあるものの、廃道だということは言い出せなかった。

五人のうち下級生三人がしかたなく、スーパーに買い出しに出かけて行った。

スポンサーサイト
買い集めたものを仕分けているうちに、もう夕闇が迫っていた。いざ、ザックに詰め込んでみると、一人当たり13キロ以上ある。「石田さん、これ無理だって。テント持ってくのやめようよ。」菊地が言い出した。

天気予報では夏並みの好天が続くと予報されており、簡易テントである「ツェルト」でもいけそうだ。テントをやめてしまえば、一人当たり10キロ少しで収まる勘定だ。石田は言った「そうするかあ。そのかわり、雨降っても覚悟するしかないよな」「降りそうにないですって、降ったらユーシン沢から降りましょうよ」「いや、今回ばかりは強行したい気分」みんな、黙ってしまった。もくもくと荷物をザックに詰めていく。石油ストーブもやめ、軽くて着火性の良いEPIのガスストーブにした。登山靴も重くていやだという話になり、低山用のトレッキングシューズにすることにした。その代わり、カッパだけは軽くて蒸れないゴアテックスの上物を持っていく。この辺りは徹底的に甘い。

色々と削りに削りまくっているうちに装備は一人当たり10キロにも満たなくなった。これなら、大倉尾根もなんとかなりそうな気分になってくる。荷物はヘッドランプ、コンパス、地図、食料あとは水筒とラジオくらいになった。シュラフはどうしようか、ということになったがさすがに持っていくことにした。この中で何が重いと言ったら食料だ。肉とか野菜、米なんぞ最悪だ。なので、パック食品とラーメン、餅にした。石田にもその方が近代的なヒマラヤ風に思われ、自己満足に浸った。ヒマラヤ登山隊でもガスストーブが標準だというではないか。

荷造りは夜十時くらいには終わり、おおよそのルートはあらかじめ石田がきめてあった。ルートを見て中島は愕然としてしまった。この、ルート、昨年某大学山岳部がツキノワグマに襲われたルートじゃねえかよ。しかも登山用の地図には「小径」を意味する破線が描かれている。大抵、山深くの「小径」なんて消えたりなくなったりしてることが多いのだ。気の弱い中島は黙っていることにした。今時、奥丹沢に登山する人など少なかろうが、クマ避けの鈴が何とかしてくれるに違いない、そう願った。十一時前に解散し、各自下宿にボロバイクで帰宅していった。バイクで段差を乗り越えるたび、背中で揺れるザックが重い。各自は心も重いまま、早朝集合に向け早いとこ寝ることにした。



五人は大倉に到着した。朝八時くらいだ。駅まで早朝に行って、電車に乗り、秦野からまたバスで行くのだ。この時点でつかれた顔している奴がいる。菊地だ。菊地は腕力があるくせに、弱気な生物で、しかも高山病に異常に弱い。二〇〇〇メートル級以上になると、もうぐったりし始める。実際、そういう日本人もいることはいて、それが菊地当人なわけだが、なぜか山岳部にいる。普通は三〇〇〇メートル級までは大丈夫で、富士山くらいの高さである時間滞在すると、大抵の日本人は高山病様相を呈する。

菊地は「もういいじゃない、秦野から塔ノ岳までということで」といった。「なにいってやがんだ、今更だぞ」石田が引っ込むわけないのに。ついに大倉から、登坂を始める。もう、最初から急坂なのだ。これが大倉尾根、通称「バカ尾根」である。いきなり息がきれてしまう、おまけに樹林帯で霧がかかっており、蒸す。暑いし、もうコンディションとしては最悪かもしれない、いや、もっと最悪なことも過去にはあった。石田がどうしても梅雨明け前に北アに行きたいというので、行ったらもうすごい雨、稲妻が横に走っている。誰かが昔捨てた錆び缶詰がじりじりと音を立てていた。恐怖だったよなあ、と菊地は思った。

まあ、それに比べればましだ、と菊地は思いなおした。コースタイムは六時間、我々は重い荷物を担いでいるので、登りはほぼコースタイム通りになる。六時間の我慢だ、それですめばいいが。それにしても人の足幅を無視した木組みの階段、どう見ても登山の邪魔をしているとしか思えない。実際、そうなのかもしれない。もしかしたら人のためではなく、雨で道の土砂が流れ出すのを防ぐためのものかもしれない。

しばらく歩いて、いつも休憩をとっているベンチのあるブナ林の木陰についた。「一本とるぞ」と石田が言った。休憩のことを言っているわけだ。いきなりビールを飲みだす田口。もうこいつはどうしようもない酒飲みだ。ほっておかないと絡まれたらイヤだ。ごく普通のハイキング姿の夫婦が軽快な足取りで通り過ぎていく。いいなあ、ああいう登山がしたいもんだ、と菊地は思った。

休憩は10分と決めてある。なので、一同はまた歩き出した。この長い尾根を。



午後二時ころ、やっと丹沢の表玄関峰、塔ノ岳についた。塔ノ岳の小屋横から水が出るので、菊地がずいぶんと飲んでいた。よほど、疲れたんだろう。顔にくまができている。もう、この時点でみんなは菊地のヤツ、離脱するな、と思っていた。石田はメモに登頂時間と登頂者を記録していた。

午後二時ちょうど、塔ノ岳登頂。
登頂者は以下五名。
・石田、四年生
・菊地、三年生
・中島、三年生
・田口、三年生
・合田、二年生

こんだけしか記録しない男なので、山行報告とか、ろくなものじゃない。写真もたまにしか撮らないし。もっとも写真は合田の役目だが、こいつもどうしようもないので、カメラをレンズカバーしたまま写したりする。

石田はまだ元気ありそう。「さあ、今夜の寝床を探さんといかん、丹沢山まで行くぞ」、行くのかよ、といった表情で残りの四人が顔を見合わせる。たしかに小屋に泊まるカネはないし、今日は晴れて暑い。開けたところで野宿だろうな、と。丹沢までの道のりはさらに小一時間ほどかかって、しかも最後は急な登りだ。登頂もそこそこに下りはじめ、ブナ林の下草がすくないところを探し出した。枯葉がつもってこの中にもぐって、シュラフに入ればあたたかいだろう、と思われる場所をようやく見つけた。

夕食は菓子類とピーナツチョコだけで済ませた。火を決められたところ以外で焚いて、パトロールに見つかったら、とても大変なのだ。塔ノ岳で汲んだ水に粉ジュースを入れて飲み、一息ついたらもう暗い。山はなぜか、日が暮れるのが早いが、登山者もご飯をたべたら六時には寝てしまうので、ちょうどいい。次の日は三時起きになる。菊地は唸りながら寝ていた。田口はウイスキー飲んでる。酔っぱらって寝るまで飲ってるんだろう。

明日は蛭ガ岳、檜洞丸を目指す。丹沢の主尾根を通ることになる。とりあえず道は絶対にあるはずだが、疲れるに決まってる。ああ、来るんじゃなかったと菊地の次に弱い中島も思った。



明け方、菊地が気分が悪いと言い出した。そして、吐いてしまった。誰も心配してない。なぜなら菊地は疲れると必ず吐いてしまう人だから。でも、もう山から降ろさないとまずい。石田が中島に言った。
「悪いけど、ユーシン沢から菊地を連れて降りてもらえないか」
「わかったよ、もういつものことだから」
菊地は、ポリタンクの水をがぶがぶと飲んだ、そんなに飲むなよ、また吐くんだから。
「俺、中島と先に帰るから」
なんでまた、いつもだし親友だからしょうがないけど、と中島は思った。朝食も食わずに携帯食とシュラフ、ナイフ、水筒だけ持ってザックに入れ、中島と菊地は下山を始めた。田口は中島のウイスキーを強奪して、しめしめ、と思っていた。石田、田口それに合田は元気そうで、ソーセージをぐちゃぐちゃにして食っている。

これで残りは三人だ。誰が最後まで山中湖に到達できるんだろうなあ、と中島は思った。まあ、少ない人数の方が行動速度は速くなる。すでにヒマラヤ登山では極地法とよばれる大部隊での山岳登山は時代遅れで、少人数で素早い行動をする手法が流行り始めていた。それに、檜洞丸から先は、正直、一日数人しか通らないような道になる。道だってあるかどうかは分からない。菊地がついてこれないのは見えている。

中島は先を案じたが、ユーシンから降りる俺達には関係のないことだ、と思いはじめた。この沢を下りるのは初めてだが、割と楽なルートだと聞いている。菊地も下りなら歩けるだろうし。菊地はまた吐いている。水飲みすぎなんだよ。それにしても、やたらとこいつは吐くな、と中島は思った。菊地は寒いといいだしてゴアテックスのカッパを着込んだ。

菊地が下山しているころ、石田、田口と合田は尾根道を歩いて檜洞丸を目指していた。ブナ林が多く、壮観であった。ブナの樹肌は実に美しく、古い木ほど色々な模様が浮かび上がって、しかも木の間が開けて下草も少ないので爽快な気分になる。また尾根道なので大きな高低差もない。勿論、意外に山体が大きいので高低差はあるはずなのだが、大倉尾根を登坂したあとなら大したことはない。

それほど時間もかからず、蛭ガ岳に到着した。合田が写真を撮った。合田はいつも自分だけは写真に撮られるのを嫌がる。なぜかは分からない。本人は魂を抜かれるから、などとほざいている。蛭ガ岳では多くの時間は使わず、行動食(昼食は普通とらないのが山歩きする人のパターン)を食いながら檜洞丸まで目指した。

非常に美しいブナ林が広がっていき、夕方前三時くらいには檜洞丸に到達した。近くに小屋があり、当時は運営しているのかどうか分からないが人気がなかった、小屋の周辺には木製のテーブルと丸太のイスが置いてあった。三人で喜んでいたら別の登山隊がやってきた。合田が突然騒ぎ出した。同級生が登山隊にいるというのだ。めずらしいこともあるもんだが、趣向が似てるから友人になったのだろう。合田は驚くと阿呆な声を出す。「ホー、ホー」。相手のご友人も似たようなもので奇声をあげていた。やたらと二人で話をしていたが、なんのことやらわからない。田口は黙ってウイスキーを飲んでいる。石田は石田で風景に見とれている。低山でここまで美しい山もあるもんだ、と。

夕食は餅入りラーメンにした。力ラーメンというやつだ。まともな飯を食って、非常に三人は満足した。ツェルトもちゃんと三角テントのように張り、シートも敷いて快適な寝場所を確保した。割と遅くまで起きて話をしていた。次の日のルートを変えたいと、石田が言いはじめたからだ。要するにこうだ、石田はビールが飲みたいから西丹沢まで降りて、ビールをしこたま買う。そして、東海自然歩道から山肌に沿って上昇していき、尾根ルートを目指す、というわけだ。

わざわざ、ビールのために、と田口は思ったが「まあ、いいんじゃないかな、俺もそろそろウイスキー切れてきたし」と賛成気味だ。合田は比較的その場に流されやすいので、説き伏せられてしまった。こうして、やめておけばいいのに東海自然歩道に突入していくことになった。中島がいれば絶対に反対したであろう。まあ、その日は三人ともそんなことなど知らず、熟睡した。


翌日は爽快な朝ではあったが、霧が深い。石田は地図を見ながら、檜洞丸から最短ルートで林道まで下り、そこから西丹沢の丹沢湖を目指すことにした。出発した後も景色は素晴らしいものであった。

だが、である。途中からものすごい急坂の下りになり、あまつさえ、道が崩壊している。歩くたびに土くれがごろごろと転がり、砂が流れる。いつの間にかブナは消え、ヒノキの植林になっている。針葉樹は保水力が低いのでこのような急坂になるととたんに道が悪くなる。「おい、これどうなってんだよ、ちゃんとした道のはずだぞ」石田が言った。「いや、だから中島さんが心配してたんですよ。東海自然歩道なんて崩壊自然歩道だって」合田が言ってはならぬことを言ってしまった。だが、石田の決意を変えられはしない。「みんな、気をつけろよ、このまま谷底まで流されちまうぞ」足場は最悪だ。合田は長い時間、格闘していたように思ったが、時計を見ると二時間ほどだ。ようやく林道が見えてきた。

林道歩きほどつまらないものはない。舗装道路を汚い恰好で、大荷物をしょって歩くわけだ。足に舗装道路の衝撃が痛い。林道を歩くことさらに一時間以上、やっと丹沢湖に着いた。もう、そこは観光地化されており、全く三人の恰好には似つかわない場所ではあった。さっさとしよう、というので、売店でビールをたっぷりと買い、田口はウイスキーのハーフボトルを買った。合田に至っては、アイスなんぞ食っている。「ごうだー、お前、山岳部の禁をやぶってはいかん」と石田は冗談混じりに言った。「さっさと上るぞ、合田、地図確かめろよ、コンパスあるよな」「なくしましたあ」「普通なくすかよ、俺の使っていいから」

三人はルートを決めた。まずは林道を戻り、畔ガ丸を目指して標高をかせぐことにした。こうして東海自然歩道めがけて突っ込んでいった。山道は最初は順調のように見えた。ところが、途中で踏み後のように心細いものになり、ついには単なるヤブになってしまった。にもかかわらず、看板はあり、田口は見てはいけないものをみてしまった。

「クマ注意!昨年、A大学の隊がツキノワグマに襲われています。大きな声や鈴で近寄らないようにしましょう」やっぱりか、中島さんの言ってたことは正しかった。田口はきょとんとしている。「なにやってんだ、鈴出せよ、歌をうたいながら歩こう」石田は言った「大丈夫だからあるこうぜ、ほれ、合田、川口浩探検隊シリーズの替え歌、嘉門達夫が歌ってただろ、あれにしよう」「じゃあ、うたいますよ、かわぐちひろしはー、洞窟にはーいるー、カメラさんと、照明さんのあーとにーはいーるー」まったくいかれている、と田口は思ったが、熊に襲われてはかなわないので大声で歌った。

東海自然歩道はとぎれとぎれに、頼りなげに続いていく。踏み後をたどりながら、心の内側とは正反対に大声で歌をうたう。やがて、ほんとに崩壊している部分にさえ差し掛かった。
「まずいぜ、これさあ、道というより自分たちの位置を予測しながら歩いてくしかない」と石田。田口は答える「俺、地図ちゃんと読めるから、大体このあたりのはずだぜ、それに三角点とか出てくるだろうしな」「じゃあ、行くか」
更に前進していくことにした。

道は時々、踏み後が見えるがガケとなっては仕方ないのでトラバースして、回り込む。それからルート探索だ。そのうちに、非常な大発見を石田がしてしまった。

「おい、こんな滝、地図に書いてないじゃないかよ」確かに見事な滝だ。たっぷり20メートルくらいはある。その上部は岩場になっており、滝口自身は人が跨げるほど狭い。しかし、滝口の前は浅いプール状になっている。さらにプールの上部にはちょっとした小川が流れ水を供給している。ざーーーっという滝の音が近づいてきた。
「あそこ、平らな岩場だしさあ、時間も時間じゃない、今日はここに泊まることにしようよ」
「ああ、のども乾いたし、そろそろビールのみたいしな」
何言ってんだよ、と合田は思いながらも冷たそうな水を見て、思わずビールを冷やしたい、と思いはじめてしまった。
「そうしましょう。じゃあ、ビールは一番上の方に入れるから手伝ってくださいよ」「わかった」
何を馬鹿なことしてるんだろう、という発想は全くなかった。熊より目の前のビールを優先している。合田たちはビールを取り出して小川のところに入れ始めた。水を飲んだ合田は「うめー、うまいっすよ、この水。さすがだよ丹沢」「どれどれ」二人も近づいてくる。まだ二時くらいだ。十分に遊んでいる時間はある。三人はあわや遭難という事態にもかかわらず水遊びなぞしているわけである。

やがてビールが冷えてきた。高かったEPI製ガスコンロでコッフェルに湯を沸かし、レトルトカレーを入れ、ついでにパックご飯も温める。「カレーとビールかあ、こいつはいいねえ」上機嫌である。水は冷たく、ビールはすぐに冷えた。プシュッという音をさせて三人がタブを開け、乾杯した。カレーもすぐに出来上がり、ビールを堪能し、カレーも堪能した。やがて、日が暮れそうになってきたので、ツェルトを張り、寝ることにした。ホントにこいつら、と中島がいれば考えたであろう。幸いなのか、不幸なのかここにはいないのだが。

朝、ほの明るくなって三人は起きた。いや、夕べは久しぶりに愉快かつ痛快であった。だが、祭りのあとのように周りの森はしんと静まり返っている。高原の朝、といえば聞こえはいいが、それより気になることがあった。

熟睡していたから気づかなかったが、倒木の本数が増えているような気がする。おかしい。確かに増えていることは間違いなく、目の前のプールに折れて頭を突っ込んでいる木などなかったはずだ。「おかしくねえか、木が何本か倒れてる気がするよ」田口が言った。「気のせいじゃないのか、と俺も最初は思ったんだけど、あんな折れ方してる木はなかったよ」と石田。「もしかして」と言いかけて合田は黙ってしまった。「もしかして、熊が倒していったんじゃないのか」田口が目を見開いて言う。確かにそうかもしれない。細い木ばかりだから、熊が体重をかければ折れそうにも思える。「おい、思い切り鈴ならそうぜ」「そうするか」朝から激しく鈴の音が森に響き渡った。「熊じゃなければいいんだけどな」「それにしたって、寝ていても木が折れる音ぐらい聞こえてもいいじゃないか」「俺たち、酒飲んで熟睡したろ、だからだよ」「もう、やめようぜ、少なくともここに熊は今いない」「そういうことにしよう」三人はとりあえず辺りを見回して安心した。

そのあと、合田が糞をしたい、と言い出した。「してこいよ、あの滝の落ち口でやったら水洗だぜ」「そのつもりです」合田が堂々とその高い滝口に踏ん張って、見事なモノを出しているのを見て、二人はげらげらと下品に笑った。合田のブツは滝つぼに粉砕されて見事に砕け散った。合田は素っ裸になってついでにプールで体を清めた。残りの二人は山に行くと通じが悪くなるのと合田ほどの度胸はなかったので、しなかった。そして出発することにした。目標は少なくとも畔ガ丸だ。撤収も早々に済ませ、出発した。朝六時前であった。

果たして相変わらず道は悪い。ほぼ、東海自然歩道は消えた。感と地図とコンパスを頼りに三人はヤブの中を歩いた。やがて、ヤブが開けてきて、丸い山頂が見えた。「これ、そうじゃないかな」と田口。「いや、ヘンだぜ、だってあんな山の形で立派な名前の付く山なんてないよ」確かに、坊さんの頭のような丸い山頂だ。山頂についてみて、どうやら違うらしい、という結論になった。

「おい、合田、お前何踏んでるんだよ」田口がウイスキーを飲みながら言った。「何って、何も」「踏んでるだろ、そこどけ」合田が仕方なく半歩前進する。「やっぱりだ、これ標識だよ、三角点だか水準点だかわからないが、地形と地図の三角点の位置がぴったりだ、ここは西丸というピークだよ。それであっちに見えるのが畔ガ丸」やっと田口が答えを導き出した。それから、三人はまたたいそう苦労して畔が丸に登頂した。あまり景色は良くなく、近くに避難小屋があると書いてあるので、そこに泊まることにした。少し降りたところに避難小屋と、山にしてはずいぶんと立派なトイレが三室もあった。泊まるのは悪くない。落ち着いて排便できる場所を見つけたので、石田と田口は二人してゆっくりとトイレを堪能した。

平らだし、ツェルトを張るのも、料理も楽だ。疲れていたので簡単な料理にして、生ぬるいビールを飲んで早々に寝た。

次の朝は早めに三人とも起きた。最終予定日だから、飛ばすぞ、というわけだ。携帯食をくわえながら、着替え、そのまま登山道を走る。ここから先はほぼ平坦で、下り気味になる。ものすごいペースになるはずだ。山を走るというのは本来は危険で、あまりしない方がいいが、尾根道もちゃんと見え、なだらかで石ころも少ないので三人は走った。

とにかくも風が気持ちいい。走りながら、熊もいないのに合田が歌う。「おーれーたちーはさんがくせんしだ、せんしだー」なんか他の二人にはわからない歌だが、ペースがどんどん上がる。景色も良くなってきて、周囲のヤブもあまりない。菰釣山まで二時間くらいではなかっただろうか。菰釣山、一応歴史的に戦国時代に菰をなんだかの役目のために釣ったことから来ているそうで、写真だけはとり、それからまた走る。

景色はどんどん変わり、富士山もきれいに見えるようになってきた。先頭の石田がペースを上げていくのでみんなもそれに付いていく。あるカーブをまがったところで、「おお」と田口が声をあげた。山中湖が見えたのだ。「さあもう少しだ」石田は相変わらずのペースで走り続ける。昼過ぎには最終目的地である高指山に到着した。高指山までが今回の山行だが、さらに山は連なっており、草原が広がる富士山形の山に続いている。降り口は、そちらには向かわず、山中湖方面である。みんな、感慨にひたり、歩きながら談笑した。歩いているうちについに平地になり、そして舗装道路になった。

腹がへったので三人でラーメン屋にいった。「なんかさ、こう、不味いって言っちゃあわるいけどさ」と田口が言いはじめた。「そうなんだよな、山で食ってるものなんてろくでもないはずなのにさ、旨いって思うよな」「味気ないってやつじゃないですかね」と合田も言う。そんな物、かもしれない。そそくさと店を出た。

外はまったくの観光地だ。「なんかさあ、俺たち、やたら場違いじゃないかな」石田が言う。「そうだなあ、こんなにテニスコート作ってまるで軽井沢かよ」と田口。「これさあ、バスとか電車に乗ったら絶対に避けられるよな」「その方がいいだろ座れるぜ」。いかにも場違いで小汚い三人組は、ファッショナブルな衣装でテニスをする青年たちを見ながら、バス亭でバスを待った。「今回の山、結構面白かったぜ、低いけど」「そうだな、南アルプスよりいいかもしれない」石田と田口は話した。合田は、実家に帰るというので別なバスに乗って先に帰っていった。手を振る二人に合田はずうっと手を振り返して、また会う日までさようならをした。



copyright © 2006 2019 文豪ストリーキング all rights reserved.