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小説 君の見える坂道 その三

ここでは、「小説 君の見える坂道 その三」 に関する記事を紹介しています。
第3話

 慌てて荷物をまとめて帰宅の準備を始めた。だが、知子はすぐに戻ってきた。


「帰っちゃうの?」


「うん、だってもう今日はおしまいでしょ」


「少し待ってよ」


「でも、支度してしまったし」


「ロッカーにまだ荷物あるでしょ」


「帰り際にロッカーによるよ」


 少しだけ時間が経過した。知子は手早く片付けをして言った。


「ロッカーまで一緒に行こうか」


「べつに」


「べつに、ね。じゃあいいんだね。さ、行こ」


 二人してロッカーまで歩いた。足が自動的に前後に動かない、と昇は感じた。右、左、と信号を自分で送らねばならない。知子の後ろからぎこちなく歩いた。知子は先にロッカーから荷物を出して帰宅用の靴を取り出した。ふたつほど離れたところにある昇のロッカーも勝手に開けて靴と荷物を取り出していた


「遅いわねえ。はい、靴」


 知子から受け取って、初めて知子の顔を見た。

 知子は急に言った。


「あの子たちの言ってたこと、聞いた?」


「なんのことかな」


「分かってるって顔に書いてある」


 知子は言った。


「ほんとだと思う?」


 昇はまた顔が赤くなり始めた。かまわずに知子は帰宅玄関まで歩いていった。


「昇君、遅い」


「あ、分かった」


 我に返って靴を履いて帰宅玄関まで歩いた。


「近所なんだから一緒に帰ろ」


「いいけど、なんでまた」


「いいじゃない、いつも登校の時、私より速く歩くから、追いつけないの」


「なんだ、見てたのか」


「そうよ」


 まったく、女という生物は何か違う物を持っている、と昇は思った。ほんの二、三年前は野外で一緒に遊んでいたのに、急に変化し始める、そう思った。もしかしたら自分も変わっていったのかも、と思い、カフカの変身を思い出す。


「昇君、帰ろうよ」


「あ、そうだね」


 昇はのろのろと動き始めた。すでに生徒の多くが門から出ていた。昇は知子と隣あって門から出るのがためらわれた。


「いつもみたいに速くあるけないのかしら」


 知子は独り言のように言った。漸く、昇は動き始め門を二人して出た。知子はおとなしい子だと思っていたのに、随分と友達がいるようだ。帰り際、知子の友人たちは口々にじゃあね、等とあいさつをしていく。知子は笑顔で、じゃあね、と答える。知子は同性の友達が多いみたいだ。


 それに比べて自分は、と昇は思った。毎日、帰宅しては中学生には似つかわしくない科学の本を読んでいた。先端物理を好んで読み、数式も分からないのにその哲学に没頭していた。


 友達もそれほど多くはいない。親友はいるが、今日は風邪で休みだ。外向的な彼がなぜ内向的な自分と気が合うのかよく理解できなかった。それと同じように、普段おとなしい知子に多くの友人がいるのも随分と意外なことのように思えた。


「ねえ、早くかえろうよ」


 と知子が言った。昇は我にかえった。


「さっきの話、聞いてたよね。でしょ」


 知子は昇をからかうように見つめ、随分と責めるような調子で昇に話しかけた。わからないよ、この子も変身を遂げている。もう自分には分からない生物になっているのかもしれない、昇はそう思った。


「早く帰らないと、見たい本が売り切れちゃう」


 そのことについても知子は、なにそれだの、誰が著者かなど、随分と詮索する。仕舞いにはまた言い出した。


「私は、あの子たちに言っちゃったんだ。何のことかは分かるでしょ。だから、昇君をからかいに来たんだよ」


 知子は少しだけ言い訳がましく説明した。少し困ったような表情をしている。だが、続けて言った。


「でも、良かった」


 知子は昇の了承も得ずに勝手に手を握った。そうして、どうやら昇の様子を伺っている。昇は知子にされるがまま、手を握った。そうだ、拒否する理由なんてないのだから、そう昇は思った。


 やっぱり、変わったんだ、みんなと同じように知子も、と昇は思った。自分に起きている変化を無視するのに、ここしばらく躍起になっていた。人の変化は気づいても、自分の変化は認めたくはなかった。知子は言った。


「私は昇君が好きなんだ。分かってくれてるかと思ったのに」


 昇は知子の強引さと、妙な告白に半ば驚きながらも、自分が知子のことを気にしていた事実を認めざるを得なかった。物理学の本には解明されていない事案として、まだ生命というものがある、と昇は改めて思った。神経細胞のいかなる発火の連鎖がこのような感情を引き起こすかについて、生物学も物理学も無力であった。
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