FC2ブログ

第3話 朝の摩天楼

ここでは、「第3話 朝の摩天楼」 に関する記事を紹介しています。


 翌朝、7時には起きた。すでに祐子は起きていて、朝食を作っている。久しぶりに女性が料理している姿を見た。妻はいつも寝ている時間で、私は電車に間に合うよう出かける時間だ。今日は土曜なのだが、いつもの調子で時計を見てしまう。


 「ごはんできたから、食べていってよね」


 祐子は言った。


 「そこまでしなくてもいいのに」


 「少しは張り合いが出たから作ってるのよ。いつもは寝てる」


 「そう」


 私はぼそりと言った。1Kのアパートで、いかにも一人住まいの女性の部屋だ。こぎれいにしているところを見ると、普段から几帳面なんだろう。ウチではいつも私が夜中に片付けをしている。それが終われば自室で仕事をしたり、本を読んだりしている。


 大体はこの繰り返しの日々で、ずいぶんと妻の顔も見ていないような気がする。娘は早くから全寮制の学校にいってしまったので、自宅は妻と私だけで住んでいる。二人住まいのはずなのに、それぞれに好きにしていて妻はリビングでテレビを見てから寝ているようだ。


 妻には男がいることも私は知ってはいるが、家に連れ込んだりはしないからそっとしておいている。専業だし暇をもてあましているのだろう。暇というのは罪なものだ。やることがない、というのはそれなりに辛いものである、ということは理解できる。それぞれに、やりたいようにすればよい、そう私は思っている。


 祐子はちゃぶ台に、トーストと目玉焼き、スープを並べた。


 「簡単なもので悪いけど、これでいいことにしてね」


 「ああ。十分だ」


 「そう、なんかほっとする人ね」


 私の妻もほっとしているのだろうか、いやそうではあるまい。暇を持て余してどうにもならなくなっているから、男遊びなどしているわけだ。喧嘩もずいぶんと長いことしていない。そもそも、顔を見ない日もあるわけで喧嘩になりようがない。妻は用心深い人間で、自分の身辺を厳重に管理している。金庫の鍵も妻が持っているし、まあそれはそれでよい、と私は思っている。むしろ、私の方が無防備で、自室に妻が入ってはこないが、いかがわしい映像などを持ったりもしている。誰しもがそうではあるだろうけれども。

 

 「ほっと、か。祐子さんにとってほっと、ってなんだか理解できないんだよね」


 「そう?ほっと、は、ほっと、よ。安心してることなのかもね」


 「平気で風俗に来るような男を信用してはいけない、と僕は思うよ」


 「それは人それぞれよ。事情もそれぞれよ」


 「まあそうだけど」


 事情もそれぞれ、か。そうには違いない。人は誰しもが異なる環境にいるわけであって、その人にあった状態がほっとしている状態なのだろう。そういうことを思う自分も、ほっとしているのじゃなかろうか、等と思いもする。


 しかし、倫理的にどうかなどと考え出すと頭の中に寒い風が吹き込むような気さえする。倫理とはなんだろうか、と私は思う。何が人間にとって守らなければいけないことで、なにをしてはいけないのだろうか、それは「常識」で規定はされているものの、確固たるものとして存在しているわけではない。


 倫理は人間が作ったものであり、人間はそれを後から教えられて覚え、社会に対応する訓練を無理矢理に受けさせられている。成長するにしたがい、学校での倫理、社会での倫理、会社での倫理、そんなものまで背負い込んで、重い気分になったりもする。


 朝食を食べながら、そんなことを私は考えていた。一方で、祐子はずいぶんと穏やかな表情で、朝食を食べそして私を見ている。


 「ねえ、帰る前に少しだけ散歩してから、じゃだめかな」


 「少しだけね」


 「良かった。じゃあ、川沿いの堤防の上、あそこがいい。今は冬だけど、渡り鳥たちがたくさんいるわ」


 祐子はさっさと片付けを済ませ、着替えをし、薄化粧をしていた。私は思いにふけったり、ぼうっとしたりしてそれを待った。


 川の土手まではすぐだった。高層ビルの建ち並ぶ喧噪の街から少しだけ離れている。冬の横から差す朝日がまぶしい。祐子は手袋をした手で私の手を握った。


 「こういう関係って、そんなに長くはつづかないんだろうなあと、ちょっと思うと切なくなるわ」


 「まあ、そういうものだろね」


 川岸では渡り鳥たちが何かをついばんでいる。河口の方に向かって川は蛇行して流れていく。時々、渡り鳥たちは一斉に飛び立ち、河口のほうに向かっていく。小さくなる渡り鳥たちの先には、私が行き来するオフィスのあるビル群が立ち並んでいる。


 ビル群には朝もやがかかり、うっすらと見えるだけだ。普段、見ようと思ってもしなかった光景であった。私は祐子の手をにぎりかえした。そうして言った。


「ビルってさ、なんでああ薄暗く見えるんだろうね」


「さあ。そう思うからそう見えるのよ」


 祐子は何の気なしにそう言っているようであった。そう思うから、か。私は心の中で反芻した。


 完
関連記事
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
https://starttonext.blog.fc2.com/tb.php/411-bed54dce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
copyright © 2006 2020 文豪ストリーキング all rights reserved.